球磨川の歴史
かつては人吉から八代まで巨岩がひしめく急流が続き、水運に利用するのが難しかったが、相良氏22代当主相良頼喬の叔父で丹波篠山出身の林正盛が、1662年(寛文2年)から私財を投げうって開削事業に着手し、無数の巨岩を取り除く難工事の末、1665年(寛文5年)には川舟の航行が可能な開削が完成した。以来、球磨川は外部との交通・物流の幹線として、また参勤交代にも利用され、人吉・球磨地方の発展に多大な貢献を果たしてきました。
人吉球磨の700年の文化を築いた相良家の家紋
領主と民衆が心をひとつにし、地域の文化を守り、新しいものを取り入れた独自の文化が人吉球磨には刻まれています。